自分の軸で生きる

学校教育を長く受けていくと、まじめでコツコツと、個性を抑えた生き方にはまってしまいます。

我が家の三男は、中学校を途中で行かなくなりました。

もともと、小学校も3年まで行っていなくて、不登校の子の通う、相談室に通っていたので、再び、そこに行くことにしました。

小学校に行っていないのは本人の問題ではなく、私の教育方針でした。

長女は小学校5年までシュタイナー学校に通い、長男は小学校3年生までシュタイナー学校に通いましたが、そこでシュタイナー学校は閉鎖となり、そこから先、しばらくホームスクーリングをし、教育相談室にお世話になっていました。次男も三男も初めから学校に行かず、ホームスクーリングでした。


何かといえば、東大を頂点とする現在の学校教育は、戦後に敗戦国として米国に支配されて教育内容が定められ、人間形成という点で歪められた教育方法だと考えたからです。


東大がトップであり、その東大卒の官僚が文科省として指導要綱を支配し、しかもその指導要綱は公立・私立を問わず、日本中一律です。そこからはみ出し、不登校になると、その先、それに代わる教育がありません。


世界中に広がっているシュタイナー学校を日本で認可をとろうとするととてつもなく困難です。ようやく特区制度を利用して、数校が認可できました。それも、相当の妥協と、指導要綱の拡大解釈で成り立っている側面があります。


自分軸で生きるというのが、日本だけではないでしょうが、とても難しい時代になっています。

これまで、自分軸で生きることが容易な時代があったかどうかもわかりません。それを評価する指標もデータもありません。


不登校をしていると、当然、義務教育としては、親にその義務を果たしていないとして指導があります。

義務教育とは子どもに対する義務ではありません。

子どもは教育を受ける権利を持っているのであり、教育される義務はありません。

昔は子どもを家業の労働に使うなど、教育を受けさせずに、労働力として使っていた経緯もあり、それを制限するのが就学義務です。親に対する子どもに教育を与えなさいという義務です。


ところが、なぜか学校に行くことが義務となってしまっています。

教育を受けさせる義務があるというのなら、シュタイナー学校でも、ホームスクーリングでも、教育を与えていれば義務を果たしているはずですが、そうは認められません。


しかし、不登校が増えた現在では、その不登校に対して、強圧的に学校に通うことを促すことが少なくなりました。

そのような経緯もあり、比較的緩やかな態度で、就学義務違反に対しては取り扱ってもらえました。


そこで感じたことは、中途半端に抵抗していると、引き戻されるが、頑なに、信念をもって抵抗していくと、そこから先は、追求されないということです。

一度、そのようなレッテルを貼られてしまうと、後が楽です。ある意味でやりたい放題のことができるようになります。


私にとって、その体験が自分の軸で生きるという、基準となりました。


マスクが強制されようが、ワクチンが強制されようが、フッ素洗口が強要されようが、私は自分軸で生きていきたいと思います。


そこの腹のくくり方というのは、それまで常識の枠組みで生きてきた人たちにとって、突破口が難しいというのは想像できます。

それを突破したときに、自由は拓けていきます。

その時に、同じ考え、同じ体験をする人たちと、つながりあうということは大きな力となります。

ひとりで闘うのは心が萎えてしまいます。支える人がいて、それが貫けるのです。

5番目の子どもが公教育に初めから通った初めての子です。

それは離婚し、自分の主張を支持するサポートを失ったことが大きな要因でした。

それでも、何とか小規模の学校を選び、公教育の弊害を最小限に抑えるということだけは、自分の最低限のポリシーとして守ろうと努力しました。


自分の軸で生きるということが、簡単ではないことは、これまでの体験を通じて、理解しています。

しかし、本当に軸を持ち、それを貫きたいのなら、そこを突破した後には誰もそれを追求してこないこともわかりました。


もしも。子どもの不登校などでお悩みでしたら、それは不幸なことではなく、子どもが自分の軸で、自分が生きる道を知っているのだと、むしろ喜び、支持してあげてほしいです。

我が家の三男は、車の関係の学校に入学し、自分でもバイクの部品を取り換えたり、付け足したりして、学校での学びではなく、自らの関心と興味で自ら学んでいます。

本来の人間のあるべき姿が、教育で抹殺されてしまうことに比べ、自らの軸で、興味、関心に向かって堂々と進むことができることこそが、生きる力です。自分を活かす力です。

良い学校に進み、良い就職につくのが自分を活かす、生きる力になるとは限りません。


そして、大切なことは、親が自分の軸で生きているか、それを子どもに示せているかということです。

どんな学校の教育よりも、その親の生き方が、子どもに大きな影響を与えています。



Ken Pro  建築プロデュース

建築家は魔法使いです。それまでこの世に存在しなかったものが、創造力で物質化します。 その創造力は、クライアントの要求を物語にできるかどうかからはじまります。 ただの箱をつくるか、物語をつくるか、 それはクライアント自身が決めてください。 ただの箱をつくるなら、このサイトは必要ありません。 物語を創りたいクライアントのために、建築プロデュースはヒント、あるいは仮説をご用意しました。

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