断捨離
モノがあふれてきて、意を決して片付けようと、収納を増やすことはないでしょうか。
その収納も安い棚で、ますます家を狭く、見苦しくしてしまいます。
モノが増えたら、収納を増やしてはいけません。すぐにそれがいっぱいになり、またモノがあふれはじめます。
モノが増えたら、捨てれば良いのです。
器に応じたモノだけに厳選すればよいのですが、
もったいない、まだ使える、いつか使えると、あっちの隅、こっちの隅に追いやってしまうと、
もはや決して使うことのない、死んだ空間と、死んだ物品がじわじわと生活空間に増殖していきます。
それは空間的には気の流れを悪くし、気の流れの悪い家に住んでいると、病気になります。
モノを捨てるというのはモノを粗末にすることではなく、空間を活かすことです。
それが習慣化すると、モノを買うときに厳選するようになり、余計な、百円ショップで買えるようなものは選択しなくなります。
100円ショップで買って良いのは、毎日使うモノか、消費されるものだけです。
その行為の習慣化に「やました ひでこ」さん、とても良いネーミングをつけました。
「断捨離」です。
この言葉はすでに、一般化し、流行語大賞にもノミネートされたといいます。
元は沖正弘さんが提唱したヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)の応用です。それを
断:入ってくるいらない物を断つ。
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
という片づけ術に転用したのです。
やました ひでこさんは、単なる片づけ術やテクニックではなく、モノとどのように向きあうかという精神論であり、まさにヨガの精神に一致するものととらえています。
家の中にモノが片付かずに散乱しているということは、モノが家の主役となり、自己主張していることを表します。
モノを片付けるということは、「君の役割は終了したから控えていなさい」と、主人が従者に命令することなのです。
家の中で、自分の主体を維持していくことが、モノを勝手に自己主張させないために大切なことです。
モノに控えろという訳ですから、主人はモノの控え所を準備してあげ、常にそのねぐらに帰っているかを見届ける必要があります。
帰るねぐらのないモノたちは、まるで浮浪者です。
浮浪者が我が物顔で居座っているところに住んでいることになります。
気が流れないわけです。
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