建築家は魔術師
以前から、設計者は魔術師であるという主張をしてきています。
もっと言えば、建築家は魔術師です。
なぜ、魔術師なのかといえば、一つには、存在していないものを、存在させる力を持っているからです。それを創造といいますが、創造とは神様の力をいただくことです。
村野藤吾氏設計の日生劇場の階段
創造するためには、どうするかと云えば、理念界に行くわけです。
物質化する前に、デザインするのが理念界です。
その理念界で、物語を構成し、吟味し、もみ、スケッチをし、検証し、納まりを考え、整合性をとる。そのプロセスの中には9割は実現さえずに捨てらる案があります。そこから吟味され、1割だけが残ります。
それを現実化しようとしるとき、物質化しようとするわけですが、そこでも修正が加えられ、ようやく実現される形が生れます。
それでも花の美しさ、蝶の美しさ、鳥の美しさ、自然の神秘的な美しさにはかないません。人間の想像力の限界です。
しかし、それでもなお、創造力の一端を担わせていただいていることに感謝しなければなりません。
陰謀論的に、いろいろと云われるフリーメーソンは、元は石工の職人たちの技術を伝承する組合でした。ヨーロッパは石の文化で、石造で建築を造ってきた歴史があり、日本でいう大工は石工なのです。
日本でも神社仏閣の優れた建物の歴史がありますが、それは一般の大工とは違い、宮大工と呼ばれてきました。
法隆寺を建てたのは聖徳大使ですが、聖徳太子は大工の神様でもあるのです。
建築を造る、当時は設計と施工が分離していたわけではないので、大工イコール設計者、建築家だったと思われます。ですから、建築家は、創造する神の力を担う、魔術師だったのです。
そして、その技術を伝承してきた秘密結社が、国を動かす原動力となっていくのは、創造力の担い手が、国を造るうえで重要だったからです。
その創造力の一部には占い師や、予言者もいました。技術以外のところには、そうした想像力も必要でした。
建築家がなぜ、魔術師なのかというもう一つの理由は、図形と数学、それは言語よりもはるかに宇宙的な言語であり、その秘密を理解していたからです。
図形は右脳的な視点、数学は左脳的な視点です。
建築は、その両方が交わるのです。
哲学と文学と芸術と科学、数学などが総合されるのが建築です。それに心理学を加えることもできます。
ところが、魔術師でない設計者、建築家も存在します。
むしろ、魔術師の建築家の方が少ないのかもしれません。実態はわかりません。
直感というマジックを使わない建物はいずれクレームが来ます。
数年で欠陥が現れてきます。
設計をしていく中で、気づきというものがあります。
その気づきの多くは直感として設計者に感受され、それが設計変更や修正の動機になります。
私たちの意識は間違いを犯します。
その間違いを、眠り、肉体からアストラル体が離れ、精神世界に行って、日常の間違いに気づき、翌朝、あるいはある瞬間にひらめき、気づき、過ちを修正します。
このプロセスを経ない設計は後々にクレームや欠陥が現れてきます。
そのような精神世界とのつながりをもって職能を果たしていくことが建築家、つかり魔術師としての建築家の役割です。
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