創造者になる
私は建築に40年間係わってきました。
設計だけでなく、施工、施工図、発注者などの立場など、ほぼ一巡するように様々な視点で建築を見てきました。
そして、ぐるっと回り、再び設計者の立場に戻ってみると、設計というのは、創造である、魔法使いであるということが、ますます実感できるようになってきました。
これはなにか特別な能力や特別な存在であると云いたいのではなく、創造の仕組みが理解できてきたということです。
私たちは実は生まれる前に、自分の人生を設計してきています。前世までの魂の成長を振り返り、そこに不足している要素、さらに成長させたい要素などを、次の人生に課題として設定しているのです。
それはまさに設計者の立場です。
そして生まれて、設計者の記憶を失い、人生を生きます。
それは施工者の立場で、建物を造っているようなイメージです。
あらゆる物質やあらゆる生物も、物質化するまえに、デザインされています。
行き当たりばったり、ランダムな突然変異を繰り返し、たまたま適者となって進化を遂げたものが生き残ったとダーウィンは考えましたが、そんな適者生存の考えは現代は誤りだと認識されてきています。
物質だけを考えると、誤った結論に至ります。
目に見えるものの背景に、目に見えない要素があります。
人はそれまでの動物が自我を種(しゅ)に預けていたように、楽園で暮らし、自我を持ちませんでした。
しかし、認識の木の実を食べたという表現で、自我を個体が獲得します。種ではなく、個体が自我を担うようになったのです。
ねこは自分を「私」と認識しません。
強いて言うなら、「我々ねこ族は」と認識しているのです。
古代の民族なら、同様に「我々〇〇属は」と認識していたでしょうが、
現代は「我々日本国民は」と自分を規定する人はいません。
「私はこう考える」と云います。
自己認識を「私」と呼んだ時、つまり楽園から追放されたとき、私たちは自我を担う決意を行うのです。
幼児は自分と他者の区別ができません。それが3歳ころに「私は」、「僕は」と一人称を認識し始めます。
それが自我を担う芽生えです。
自我を担ってきた個人が、それでも神や仏を信仰します。
自分を超えた創造主を想定するのです。
それは自分の存在を自らが担うことができないからです。
しかし、その神に自己の存在意義を担わしていた時代が終わります。
自我を獲得したのと同様に、これからは自分を存在させた創造を自らが担うようになります。
ですから、「自分の人生は自分がデザインした」という認識がこれからの主流になっていくのです。
それが主流になることで、自らが「創造主の一部」であることが認識できます。
つまり、理念界でデザインする主体をこれからの人間は担うようになるのです。
しかし、それを担えない人たちもいます。
底辺で、労働力として指示された通りにしか動けない人たちがいます。
その人たちは、いずれAI化が進み、ロボットが人間の労働に代わっていくと、存在意義が失われます。
支配者者層の誘導をそのままうのみにして、何も疑問を抱かない人たちには、創造する力が欠けています。
その明暗が新型コロナウイルスで明らかになっています。
人類が二つの道に分かれていくのです。
設計者というのはこれまでは魔法使いでした。
しかし、これからは皆が魔法使いであり、それが当たり前になります。
それぞれがそれぞれに創造していきます。
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