第三の波
1980年、アルビン・トフラーは「第三の波」を著しました。 トフラーは本書の中で、人類はこれまで大変革の波を二度経験してきており、第一の波は農業革命(18世紀の農業における変革でなく、人類が初めて農耕を開始した新石器革命に該当)、第二の波は産業革命と呼ばれるものであり、これから第三の波として情報革命による脱産業社会(情報化社会)が押し寄せると唱えています。
あれから40年、アメリカの未来学者の予見は、まさに的中し、今日の情報社会を生み出しました。
しかし、その第三の波は、この40年間は、システムを構築する、世界を情報網でカバーするというハード面と普及のための試用期間にすぎなかったのかもしれません。
本当の波、あるいは津波は、今、まさに私たちを呑み込もうとしているのかもしれません。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、コロナ、つまり太陽の光で、様々な世界の闇の部分を明らかにしてきたと言えるのではないでしょうか?
その一つとして、私たちの働き方を考えてみると、満員電車で毎日、会社に通って仕事に出掛けるということが、実は必要なく、また最小限で済む可能性を明らかにしました。
実際に顔を合わせての打ち合わせも必要かもしれませんが、実際にはオンライン会議で済むし、情報の伝達も家でも職場でも可能です。
情報化社会と云われつつも、私たちは旧態依然の価値観のまま、その情報化の意味を受け留めずに、今日まで仕事をしてきたということに、気づいてしまいました。
その気づきの目で、改めて社会を見渡した時、学校の勉強もオンラインでできることがあるし、個々人の仕事も、オンラインで情報発信ができるし、そのことによって、地域やエリアを超えて、世界とつながれることに気づきます。
私たちの空間認識という概念が、情報化で崩れていきます。
3次元空間を超えて、私たちはコミュニケーションできるのです。
二十歳を超えた次男は、先日も友達とオンライン飲み会をしていました。
家族の空間認識ということで考えてみると、
戦後の日本人の生活スタイルはサザエさんのお茶の間で描かれたような、ちゃぶ台を家族が囲み、一家が主人を柱にまとまるものでした。奥さんは主人を陰で支え、子どもを育て、家を守りました。
昭和35年頃を境に、テレビが一般家庭に1台ある時代が来ました。
それまでは近所の裕福な家庭のテレビを見せてもらうほかありませんでした。
ちょうど、電話を借りにいったようなものです。
家庭に1台の白黒テレビが普及し、大衆が生れました。
当時の三種の神器と云われる家電は、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫でした。
テレビはお茶の間に置かれたテレビという想定で、お茶の間の家族に向けて発信されました。
その結果、同じ情報を共有し、同じ価値観の、いわば大衆が生れたのでした。
テレビの流す、車、家電、薬の宣伝は見事に効果を示しました。
その頃にはすでにカラーテレビの時代に入りました。
歌謡番組が流行り、スター(アイドル)が誕生します。
子どもたちはアイドルの身振り手振りを、そのままトレースしながら、アイドルと同一視し、投影同一化を体験します。
その頃になると、受験戦争が激化し、塾に通う子どもたち、勉強のための子ども部屋の普及が始まります。
母親も仕事を持つ、共働き世帯が増加し、お茶の間に代わり、リビングとなり、家の中心にはちゃぶ台に代わってテレビが居座り、テレビを見るためのソファーなどがリビングを占め、ダイニングが独立します。
仕事や塾などの家族それぞれの予定で活動時間が異なり、家で一人でご飯を食べる個食の時代になりました。
同時に家族は核家族化し、高齢者を子ども世代が世話をしなくなります。
そうしてサザエさん的な生活スタイルが消えていきました。
現在では、子どもに個室を与え、そこに何でもそろえることには否定的な考え方になってきました。
子ども部屋は寝る部屋として限定し、勉強は居間の一部で、空間を家族とゆるやかにつながった中で行うのが効果が高いと言われています。
ネット環境も、Wifiが主となったことから、居間の一部でそれぞれがそれぞれにネットを利用するようになります。
居間にはテレビはあっても、もはや中心的な存在ではなくなりました。
広い居間の空間の中で、家族それぞれが、一角で、それぞれのことをしている。家族が一つの空間を共有しながら緩やかにつながっているというのが、現代の私たちの生活スタイルになりつつあります。
テレワーク、オンライン授業が試みられるようになり、さらに加速して家庭内での情報化環境、情報化空間へと変容していくことが予想されます。
職住分離が極まった末に、職住一致へと逆転現象が始まりつつあります。
それは考えてみれば、ラッシュアワーの満員電車で長距離通勤、通学することの不合理さが明らかになったという面があります。
情報化と云っても、その部分だけ旧態依然のスタイルが残されてきていたわけです。そこに気づいてしまったことは大きなインパクトです。
職住分離だけではなく、代議制などの政治にしても、それまでは一堂に会したり、話合ったり、意見を集約することが困難な事情から、代表者を選び、代表者に自分の意見を代弁してもらうというのが代議制の意味でした。
しかし、真の情報化が進めば、直接民主政治は実現可能となります。
金融システムでも、今はお金を民間企業である中央銀行が独占的に紙幣を印刷し、発行するシステムですが、仮想通貨ではそのような独占化の必要がなくなります。
エネルギーについては、資源、電力など集中するシステムになっています。これを、すでにある自然エネルギーやフリーエネルギー技術により、分散化、自給化が進めば、地球環境に与える負荷を低減させることができます。
食料についても、大規模農園、大規模酪農で効率化を目指すために農薬、化学肥料、抗生物質が大量に使われ、健康にも、地球環境にも負荷を与えてきました。
自然の浄化機能にあった規模、サイクルにし、分散型に切り替えていく必要があります。
なぜ、それらが効率化を目指さなければならなかったかと云えば、一つには経済的な理由、もう一つは労働力の問題があったと考えられます。
金融システムが変わり、経済的な要因が取り除かれ、地球環境にマッチした経営形態あるいは自給携帯を構築することで、負荷を低減させていかなければなりません。
このように第三の波は、文明の波であり、まだ始まったばかりです。
その波が変容させていくべき方向性は、地球環境との共生です。
働き方が変わり、空間認識が変わり、時間認識が変わっていくことで、私たちは情報を、私たちの認識によって、地球の軸に沿わせて行かなければならない使命を担っていると言えます。
そうでない、人々を監視し、ロボット化し、家畜化するための情報であるなら、それは拒絶しなければなりません。
自分という軸、地球という軸、その波動を調整していくことで、第三の波は、津波や洪水としてではなく、人を一段上に進化させる、引き上げの波動となるのです。
私たちの社会は日々変化し続けています。
私が生れた頃の景色も、社会環境も、今は見る影もありません。
私が生れた年に白黒テレビを買い、カラーテレビになり、
債券を買って、順番を待って電話を購入した時代です。
ワープロが普及し、パソコンが普及し、ポケベル、自動車電話が、携帯電話に代わり、iPhoneになって、電話とネットが融合しました。
まさに激変です。
テレビのチャンネルを回していた時代から見れば、タイムマシーンに乗って未来を見たようなことが、一世代の人生期間中に起こっています。
その一方で人間関係は孤立化しました。
家事の重労働から家電で開放された女性が、家から出て働き、
養育は保育園が行い、躾は学校が行い、教育は塾が行うようになりました。
家族の中で、子どもが育たなくなりました。
第三の波の情報化が、人間の軸と地球の軸の波動の調整であるなら、
人間の軸として、子どもは、再び家の中で育ち、成長しなければなりません。
子どもに母親を取り戻し、父親を取り戻し、
塾から子どもを取り戻さなければなりません。
そして、子どもを家族から真に独立させなければなりません。
0コメント