令和2年4月1日営業開始

さて、新年度になりました。

今年から会計年度任用職員という制度がはじまりました。

私はもともと、設計事務所を自営していたのですが、東日本大震災が起こった当時、那須塩原市におりまして、そこで設計事務所をしていたのですが、福島原発の事故があって、福島と県境であったものですから、居ても立っても居られぬ心境で、北海道に移住してきました。

2000年に東京から当時の黒磯市(現、那須塩原市)に移住し、那須移住計画というサイトを立ち上げ、新幹線通勤や海外からのJターン、団塊の世代の移住などをコンセプトに設計活動を展開してきて、ようやく軌道に乗りかけてきた矢先にこの震災と原発事故に遭遇しました。


地震の当日は那須高原で別荘の改修の打ち合わせをしておりました。

そこで、立っていることもできない地震に遭遇しました。真っ先に考えたのは卒様式を前日に済ました娘と3歳の子が家に残していて、ストーブがついたままの状態で地震にあい、火事にでもなっていたらどうしようという思いでした。


そこで、打ち合わせも中止し、家路を急ぎました。

打ち合わせの相手は東京から来ていたのですが、タクシーで帰ったそうです。


家に向かう途中は信号も消え、とにかく家に早くついて状況を確認したいと慌てました。

幸い家は火事になっていなくて、皆、無事でした。次には中学校、小学校に行っている子どもたちの様子が気になりました。学校に駆け付けると、どちらも問題なく、家に連れて帰ることができました。

しかし、それから停電です。


そんな状況の中、福島原発事故の情報を聞いて、もはやここに居られないと判断して、子どもたちを引き連れて北海道への移住を決断しました。


移住先ではあまりに人口が少なく、設計事務所を再度営業することはあきらめました。

その後、縁があって、隣町の役場で建築技師として勤めることができました。


平成26年から5年務めたあと、令和2年度から会計年度任用職員となり、パートタイムとなったことで、副業が可能となり、再度、設計事務所を立ち上げ、役場の技師と両刀でやっていこうと準備を進めてきました。

本日、4月1日から正式に、役場技師の立場と複合して、設計事務所の営業を開始いたします。

元の有限会社があるので、それをベースに取り組んでいきます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。








Ken Pro  建築プロデュース

建築家は魔法使いです。それまでこの世に存在しなかったものが、創造力で物質化します。 その創造力は、クライアントの要求を物語にできるかどうかからはじまります。 ただの箱をつくるか、物語をつくるか、 それはクライアント自身が決めてください。 ただの箱をつくるなら、このサイトは必要ありません。 物語を創りたいクライアントのために、建築プロデュースはヒント、あるいは仮説をご用意しました。

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