木造建築

日本の木造建築は、日本人の知恵の結晶と言えるものでした。

ここで、「でした」と過去系にせざるを得なかったのは、すでにその知識の結晶といえる体系が法律の圧力によって、ほぼ形骸化した、スカスカの実体のないものに成り下がってしまったからです。


地震や台風の多い日本では、それらの脅威に対して、柔軟に対応できることが必要でした。

今でももちろん、地震や台風の脅威があります。しかし、それに対する対応策が柔軟さではなく、力で抑える方法になってしまいました。

そのために、木造の本質である柔軟性というものが失われてしまったのです。


たとえば基礎について考えてみましょう。

しっかりとした基礎を造れば、地震や台風から守れるとは昔の人は考えません。

揺れたら、揺れよう、風が吹いたら、風に従おうとするのです。

基礎を頑丈につくる代わりに、基礎となる石の上に、ただ柱が乗るようにしました。

地震が起こっても、その基礎に固定されていないので、振動で揺れて、浮いても、また元の位置に戻ります。仮に基礎の石の上に戻らずにずれたら、ずれた状態で安定するのです。よほどずれて傾けば、建物を移動させてもとに置きなおせば済みます。

基礎と縁を切っておくことで、建物を地震から守ったのです。

今でいえば、免振構造です。耐震構造(地震の力に耐える)ではなく、免振、揺れを免れるのです。


日本人は自然に立ち向かうのではなく、自然に従い、受け入れつつ、それから免れようとします。

それが日本人の自然観であり、柔軟性なのです。

今の法律ではそのような建物が規制されてできません。

知恵の体系もないのに、法の力で、規制を加えていったのです。


昔は母親から子へと、着物が譲られてきました。

染め直しもできるし、手直しもできます。

いろいろな体形にも対応できるので、太っても痩せても、着続けることができます。

こうしていいものを大切にして、世代で継承する文化がありました。


木造住宅でも同様です。

大きな断面の木材は、解体して、再利用が可能です。

法隆寺の垂木は軒先が雨で腐れやすい垂木を、長めに取り付けておいて、先端が腐れば、先端だけ切り落として、引き出せば長く使えるようにしています。


今の住宅は解体しても、再利用は不可能です。

いろいろな部材が接着されていて、解体した産廃の分別もとて

手間がかかります。手間をかけて分別しても、再利用がほぼできません。


昔の家は、素材が自然素材であることと、種類がシンプルであるために容易に分別し、それぞれの素材が再利用できます。土壁でも再利用できます。


知恵というのは、体系づけられることで意味を持ちます。

体系づけるというのは、全体を考えることです。

しかし、現代人は全体を考えることも、そのうえで体系をつくることもできません。

部分で考え、部分だけ良いようにしてしまうので、全体にひずみをつくってしまい、アンバランスで、最終的にすべてをゴミにします。


施主が珪藻土を自分で塗ってみました。

自分で塗れるなら、自分で補修も可能です。

家を建てることは、祈りです。

家に神様を宿します。

金物を使わずに接合部を納める知恵があります。





節穴のある板でも節を埋めて使います。

羊毛の断熱材

木と珪藻土と畳のシンプルな素材


手作りのキッチンと棚

手作りの洗面化粧台

手作りの浴槽とひのきすのこ


古材が使われました。

古材と囲炉裏 床板は柿渋塗り

建具屋さんの手作り

手作りの板戸

手作りの玄関引き分け戸

手作りの玄関収納、障子

Ken Pro  建築プロデュース

建築家は魔法使いです。それまでこの世に存在しなかったものが、創造力で物質化します。 その創造力は、クライアントの要求を物語にできるかどうかからはじまります。 ただの箱をつくるか、物語をつくるか、 それはクライアント自身が決めてください。 ただの箱をつくるなら、このサイトは必要ありません。 物語を創りたいクライアントのために、建築プロデュースはヒント、あるいは仮説をご用意しました。

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